futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険な日常「突き進め!」(心)

「心に聞く」と「本音モード」を軸にしながら。日常や興味をもったことを大発信!!セールスコピーライターです。お問い合わせは0123salesa(a)gmail.comまで(a)を@に変えてください。

サブブログ開設。アフィリエイト記事移設してみた。

こんばんは。

 

アフィリエイト記事絨毯爆撃してみましたが。。。

いかがでしたでしょうか。

 

ローンチの本が一番人気だったようですね。表紙の絵もなんか面白いし。

ただ、、、、やっぱこのアフィリエイト記事(※A記事)が連続で並ぶとスゴく見辛い。このブログの普段の記事とも大分テイスト違うし。

 

と思って。。。

新しいブログを開設。※A記事はそちらに全て移します。

スターつけてくださった方には申し訳ありませんが、コッチのブログの※A記事は全て下書きにもどしてゆきます。

新しいブログはコチラ⇩です。

futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険なショップブログ

先日の絨毯爆撃記事はコチラ⇩に全部移しました。


 

全部コピペするだけだけど、ちょっとめんどくさかった。

 

最初っからこうすれば読みやすかったんですね。

今後は、全て新ブログにアフィリエイト記事を発信します。

まあ、興味のあるものやサービスを中心に。

どしどし?発信します。

 

予告。

予告。

 

いくつか前の記事でも予告しましたが。

アフィリエイト記事の絨毯爆撃執行します。

絨毯といっても。5−7記事ていどですが。

 

ダンケ・ネディ、ジェフ・ウォーカー、ドルー・エリック・ホイットマン

この3名の書籍をご紹介。

 

大丈夫かな。

プレビュー機能使ってみても途中迄しか記事が表示されてないけど。

なんでだろうか。。。

 

ちなみに、アフィリエイト記事はタイトルに※Aがつきます。

 

予約投稿機能を使ってみたい。

 

まずは、この記事を11時に設定して。

ちゃんと11時に公開できたら。

アフィリエイト爆撃を今日の18時にやってみます。

 

そういえば、全然関係ないですが。。。

アイコスって楽天で買えるんですね。

知らなかった。

ブッダとマーラ 『 小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』について。

小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ

 

この⇩記事書いてる途中で、話がそれて、長くなりすぎてこの記事になりました。

続「ちいさなこどもたち」について。 - futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険な日常「突き進め!」(心)

 

個人的にこの『 小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』のラストがかなり感動的です。話がブッダとマーラの話にいきます。そこから「静寂の中にこそ光がある」というラストへ。読んでいてジワーときました。芸術だなと。私はそもそもブッダが好き。好きと言うか、キリストよりイメージしやすい。キリスト教って全然私のこれまでの人生で関わりがなかったので。大嶋信頼さんはキリスト教のバックボーンをお持ちのようで(正確なこと知らないので違ってたらすいません)キリストの例えが出てくることが多いです。私的には「もっと、ブッダの例えを出して欲しい!」なんて思っちゃったりする。

 

ブッダって本当に謎だな~~と。

 

強烈な受難のストーリーとかないのに凄い勢いで世界中に信者が広がりましたよね。

わかりやすい「奇跡」みたいな逸話よりも、自分の教えを静かに論理的に広める。未だに世界中に強い影響力が残っている。

 

ちょっと前に「ブッダとマーラ」について書きたい!と思ってネットで調べ始めたら、、、いつのまにか「ユダの福音書」に気持ちが移り始めて、、、

これら⇩記事になってしまった。笑

ユダの福音書もそれはそれで面白いテーマで。

しかもそのあと、思ってもない展開になったので。

それはそれで良いんですが。

 

ブッダって何を書いたらいいかよくわからない。

でも本当に、 小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』みたいに「自分を振り回すものから解放される」そんなイメージなのかなと。私の勝手な解釈ですが。笑

 

 小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』のラスト本当に感動的なんで。

オススメですよ。。。。

 

結局、ブッダとマーラについては書けずじまい。。。。笑

 

そしてなぜかこの画像。「中禅寺湖」だそうです。

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続「ちいさなこどもたち」について。

こちら⇩の記事

これは、私を救うだろうか。。。。大袈裟なタイトルですが。「小さな子供達」 - futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険な日常「突き進め!」(心)

の続き。

 

「小さなこどもたち」というワードが思いついた瞬間に

「あ、これいいかも」と思いました。

 

実際に、私が疲れ果てて動けないとき。

またわたしに、動物的本能から嫉妬の暗示をかけてしまっていると思われるひとたちと一緒にいるとき、いろんなモヤモヤが頭を駆け巡ります。

いろんなことが頭を巡ります。

 

それで、昨日もそのことについて考えてたら、問題は、

「私が影響を受けすぎること」

「私が影響をうけて、本来すべきことをできてないこと」

この2つだと思ったんです。

 

究極的には

「周りのひとがどう思っていようが、私個人の人生を粛々と運用できればそれでいい」

という結論です。

 

さらに言えば「怒り」を使って切り離す。

というのもやってましたが、これってあんまり調和的じゃないというか。

一歩間違えるとかなり、破壊的・殺伐とした状況をつくってしまう。

そもそも私は「正の怒り」というのが苦手。「負の怒り」になってる気がする。「正の怒り」か「負の怒り」か考えるのもめんどくさくなる。追いつめられるとね。

 

ちなみに「正の怒り」やら「負の怒り」やらなんだそれ!という方へ。

こちらの本⇩に書いてあることです。

 ちいさなことにイライラしなくなる本

わたしのブログの他の記事でも紹介してますが。基本このブログの本紹介は「薄ーーい」ので。笑。気になる方はアマゾンのレビューとか読むと参考になるかもしれません。

 

ちょっと、話それましたが。。。。

 

「周りのひとがどう思っていようが、私個人の人生を粛々と運用できればそれでいい」

 

という結論、目標で、、、

 

「普通に成功しているひと」という憧れのイメージでいろいろ考えてたんです。

 

実際に存在するのかどうかわかりませんが。笑

ドラマとかにでてきますよね。

 

スターみたいに大成功!とかそんなイメージじゃないんです。

優しいお父さんみたいなイメージで、周りの人と適度な距離感と調和的な関係を持つ。

仕事もそれなりに、慣れた感じでこなして、まあまあ経済的に豊か。

自分の役割を社会的に受け入れられて安心できる環境で生活している。

多少悩みがあっても、それが「普通の人」としての生活を脅かさない程度に処理できている。

 

これが理想だなと。

 

そんなひとが怒りを使って、人を切り離したりするなんて。。。

やってるかもしれませんけどね。笑

人の現実なんてそのひとになってみないと分からないから。

まあまあ、そこはこの際いいんです。

 

その「普通に成功しているひと」のイメージを追究したりしながら、

それでも、いろいろひととの関係で疲れて「起きたまま見る夢」みて、醒めて、

思い浮かんだのが「小さなこどもたち」

一緒に浮かんだイメージは、スゴく牧歌的と言うか、調和的なイメージ。

嫉妬したり、邪魔したりするひとはいるんですが、

それが「お父さんにまとわりつく子供達」「幼稚園の園長先生」にまとわりつく園児達」みたいなイメージになってる。

子供達、園児達は「お父さんまたは園長先生みたいなひと」に「ワーワー」というんですが、、、

 

「お父さんまたは園長先生みたいなひと」は、それにいちいち動じない。それで疲れて、「ダメだ、、、子供達の影響で仕事ができない・・・」なんてならない。笑

 

自分のすべき事はちゃんとできる。だからって「子供達」をバカにしてるとか、怒りで見下してるとか、そんなんじゃない。

 

「適切にポジションを変えて共存してる」というイメージでした。

 

「小さな子供達」だけだと違う気がする。

「小さな子供達と大人」だと上下関係が露骨な感じもする。

「小さな子供達と静かな光」だろうか。

 

これ呪文として使えるかわかりませんが。笑

家で1人で仕事するときに、静かな気持ちになって集中するのには使えるな。。。

と。思いました。

 

冷静になりたい。静かになりたい。普通に成功したい。

普通に幸せになりたい。

 

そこなですよね。

 

「小さな子供達と静かな光」

 

静けさと光というのは大嶋信頼さんの著書でいうと、

コノ本⇩にのテーマに少し繋がるのだろうか。

小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ

個人的にこの『 小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』のラストがかなり感動的です。話がブッダとマーラの話にいきます。そこから「静寂の中にこそ光がある」というラストへ。読んでいてジワーときました。芸術だなと。

 

ちょっと『 小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ』について書いてたら長くなり過ぎて話がそれまくりそうです。この記事のテーマが完結しなくなりそうなので、別の記事に書く事にしました。書いたらココにリンク貼ります。(リンクという言葉の使い方はこれで正しいのだろうか。)

 

何が書きたかったかっていうと。 

 

「周りのひとがどう思っていようが、私個人の人生を粛々と運用できればそれでいい」

という究極のイメージを私の星にする。星にするというのは、いつも見据えるべき大目標という意味で使ってます。カッコ付けてるだけです。笑

 

で「起きながら見る夢」直後に思い浮かんだ「小さなこどもたち」とそのイメージ。

 

さらにこの記事書きながら思いついた「小さなこどもたちと静かな光」

静かな光であれば、周囲を否定する必要もない。

 

嫉妬って難しい問題だと思うんですよ。解決策が見つからない限りは。しかも想像以上に多くのひとが「嫉妬」の影響を受けていると思うんです。大嶋信頼さんの著書とかブログ読んでると。「嫉妬」を引き起こす裏には、その人にしかない「何らかの優れたところ」があって、それが周囲のひとの「脅威」になってしまう。ある意味では「嫉妬する側」も「される側」もどちらも傷ついてしまう。

 

でも本当だったら、嫉妬されるような優れた才能は、周囲の人にとってもメリットになるはず。周囲の人間も豊かにするはずではないかと。

 

とかいろいろ、書きながら考えてたら。

 

小さな子供達と静かな光」の静かな光は、子供達の心を落ち着けながら導きえるお存在にもなるのではないか。「導く」というと上から目線に感じるでしょうか。

 

でも私が思うのは、ここまで書いてきたとおり「嫉妬されうる美質は、ほとんど多くのひとが持っている」ということ。つまり、その美質を上手に、周囲と調和しながら表現できれば「一人一人、全ての人が自分の美質を静かに輝かせ、静かな光の星となってお互いを導く」そんな状態が実現するのではないかと。

 

小さな子供達と静かな光」と唱える私自身が、他の「静かな光」に安心して導かれる「小さな子供達」の1人になりうる。

 

そんなふうに思った。みんがより優れた能力を持ちながら優しい大人になり、同時に別の優れた特質を持った大人に安心して導かれる子供にもなれる。

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それを可能にする静かな光。

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小さな子供達と静かな光

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この記事はこんなところで。

ちょっと、大袈裟な結論になった。。。。

 

これは、私を救うだろうか。。。。大袈裟なタイトルですが。「小さな子供達」

※コノ記事は大嶋氏の著作読んでない方には恐らく意味不明。

「嫉妬されて困る」って聞くと「どんだけナルシストだよ!!」って思いますが。

 

大嶋信頼さんの著作を読んでいると、私がこれまで思ってきた以上に「嫉妬はかなり日常的な現象である」というのを感じます。

 

「日常的である」というだけならまだいいですが「その人の能力を完全に封印するほどの影響力がある」ということも知りました。鈍感な人にとっては、全てが無意識下で行われていて、気が付き辛いんですよね。

 

人間の残酷な側面ですよね。

みんな意外と、ひとの成功なんか祈ってない。

どっちかっていうと失敗して欲しい。笑

しかも、こんなことを思ってしまうのが

「動物、人間としての本性である」なんてなったら。。。。怖い。笑

 

これも以前の記事で書きましたが『ミラーニューロン』読んだ時も「世界観が残酷すぎる」と思いました。じつは、この辺りまだ私のなかで完全には解消されてない。

 

大嶋信頼さんのブログ読んでても「嫉妬の発作」という表現をされてます。

悪気がなくても、自動的にしてしまうらしい。。。。

 

そんな私も。。。人間なので。。。。嫉妬することはある。。。。

でも、それは別にいいんです。。。なぜいいかというのは置いとくとして。。。

(置いとくな!)

 

気にすべきは「嫉妬された時の悪影響」です。

学習性無気力。。。。。動けない。。。。体調が悪い。。。。。

最初のころの記事で書いてましたが。。。。

 

 

ただね、なんでもかんでも「嫉妬」のせいなのか?

と思う部分もある。

 

だって、普通に生活して、能力をばんばん発揮してるひとはたくさんいますよね。

 

別に嫉妬の影響力を完全に0にして「神」のように人間ではありえないほどの凄い能力を覚醒させる必要はない。このブログのタイトルじゃないですが「普通の人」としてうまくいってればいいわけです。だから「嫉妬」で必要以上に苦しむというのは、多少は「嫉妬」を受信する側にも「問題」というか「調整すべき点」があると考える方がいいかもしれない。それって、当たり前か。笑。そもそもそういう前提だったか。

 

何が言いたいかというと「嫉妬」も完全に抹殺すべき「恐ろしすぎる敵」と考えるよりは、折り合いさえつければ「愛すべき人間の自整理現象の一つ」くらいに捉えた方がいいのかなってことです。

 

うーーん。でもどうなのかな。違うのかな。

 

違うのかなって思うのは、「普通に成功しているひと」について考えるとき。

まず、そもそも、そんなひといるのかな?とも思うんですよね。

みんな何かしら、悩みを抱えてたりしますよね。

 

それでも、悩みや苦しみの大きさには、かなり違いがあると思う。

その大きさが、割と小さいという意味で、「普通に成功しているひと」とします。

 

この「普通に成功しているひと」って、やっぱ、「苦しみまくってるひと」とは環境自体が違うような気がするんですよね。

 

それこそ「幸せな家庭で育ったひと」と「虐待されて育ったひと」くらいに。

これだけ環境が違えば、良い悪いは別にしても、パフォーマンスが変わるのは当然。

 

そう考えれば、「嫉妬の暗示」も極力排すべきものとして考えるのがいいのかな???

 

なんて考える今日この頃です。

 

いやそもそも、コノ記事のタイトルにもありますが。。。。

実は、私も現状で「嫉妬」の影響を受けてる部分があります。(と思われます。)

別に、そんなナルシストじゃないですよ。笑

ただ、大嶋氏の著作やブログを読んでて「私の人生にもこんなことあるな」と思ってるだけです。というか、多分、誰の人生にもある。

 

「心に聞く」「遺伝子コード」「呪文」「〇〇の恐怖×7」

いろいろやってて、かなり生活は変わってますが。それでもある。

 

かなり、前置き長くなりましたが、、、

 

「小さな子供達」とはなんなのかというと。。。

 

実はさっき、「嫉妬」の学習性無気力、動けない、真っ暗な感覚になる、、、、

ということについて考えながら、丁度、昨日⇩コノ記事書いた

起きたまま見る夢、もしくは、ストレス発散夢。夢マニアック。イメージストリーミングと明晰夢のハーフ? - futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険な日常「突き進め!」(心)

「起きたまま見る夢」を見たんですよ。いつものように「疲れたなーーー」と思いながら。でも、実は、ちょっと、本当に寝るぐらいの睡眠の深さまでいってしまって、どんな夢だったかは覚えてないです。だから、正確には「起きたままみる夢」じゃないです。笑

 

ただ、すーーっと意識が戻ったときには、頭がスッキリしてるのは「起きたまま見る夢」の後と一緒。それで、、、そこから、、、、「どんな夢みてたかな??」と思っていたら。

 

「小さなこどもたち」というワードが思い浮かびました。

 

そのワードと一緒に、私に嫉妬の暗示をかけてしまうひとが思い浮かんで(この言い方物凄ーーくナルシストっぽいですが)

 

そのひとたちを「小さなこどもたち」だと思うイメージで、

嫉妬の暗示の影響がかなり小さくなるなと感じたんです。

 

これちょっと失礼なイメージですけどね。

大人って、子供の言うことにいちいち動じない。

「はい、はい」とあしらいながらやるべきことをやりますよね。

そんなイメージでした。

 

疲れたので、こんど詳しく書くかも。

 

こちら⇩に詳しく書きました。

続「ちいさなこどもたち」について。 - futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険な日常「突き進め!」(心)

 

 

関西、京都で感じる、人の違い。

 

私は関東出身で、京都に引っ越してきました。

そして、京都が初の関西です。

これ、関西の人怒るかもしれませんが。

関西(というか京都なのかな)の特徴を一ついうとすれば、、、

「嫉妬」や「足の引っ張り合い」が強いんじゃないか???いうこと。

 

というか。そういうふうに「私」に感じさせる要素が強いのではないか??

と思うところもある。みんながみんなそう思うわけではないと思うんですよ。

 

関西の方は気をわるくしないでください。

あくまでも個人的な主観です。また、関西にも関東にも色んな方がいます。

 

ただ、そうは言っても・・・・

これ、かなり強く感じるんですよねl。

 

別に、私に対してというよりも、全体的な雰囲気として、無言の嫉妬、足の引っ張り合いが強い。実はこれ、どこいってもわりと全てに対して感じます。

 

これうろ覚えですけど、何かの漫画で京都出身の主人公が、父親から「お前は、1度は京都をでていったほうがいい」みたいなことを言われます。

その時にその父親が比喩のように言っていたのが。。。。

・京都は、高い建物がたてられないだろ????

五重塔だったかなにかを例えに、建物がぐらつかないようにする重りをてっぺんにつけられる。。。

みたいなことを言ってたシーンがあった気がします。

 

すいません、相当うろ覚えですが。作者の意図は全然違うかもしれないです。

その漫画に出てくる父親は、ただ、京都の建物の高さ規制と、寺院建築に重りが使われることを語るだけですが、、、、

なぜか、その話を息子に「京都をでてみろ」という話をするとき、一緒にするんです。

 

これが、まさしく、「嫉妬」と「足の引っ張りあい」を意味している気がするんですよね。「出る杭は打たれる」じゃないですが。

 

京都くると、割とみんな優しいんですよ。でも「あれ?」と違和感を感じることがある。それは、どういう時かって言うと。。。。

 

「自分よりスゴいもの、高いもの、自分より権威のあるものを割と認めない」

ということ。だから「最初は陰口がスゴいな。笑」と思った。

そして、一人一人が、周りと比較して自分を確立するための

「割と、強いプライドをもっている」ということ。

「あれもスゴいけど、わたしも、ココがスゴい」というよりは、

「あのスゴいもの」を完全無視するような感覚。。。

ちょっと、これを感じてしまうことが多い。

あとは。。。「コレには敵わない、自分のスゴさを認めさせることができない」

ってなったときに、「ぷいっ」と顔を背ける感じ。でしょうか。

どこにでもあるとは思うんですが、割と、それが強いような。笑

気のせいだろうか。

 

だから会話してても見えない地雷のようなものが多いように感じました。最初は。

 

それで私が数年こっちで生活して感じるのは・・・

 

この「強いプライド」は周囲からの「嫉妬」と「足の引っ張り合い」へのバリアとして機能してるんじゃないかってことでした。この2つがセットのように感じるんですよね。多分、関西(というか京都)で成長する方が、関東で成長するよりも、無意識に痛い思いをすることが多いんじゃないかってきがするんですよね。関西の笑いって「けなし」が多いと思うんです。ああいうものを本当に心から嬉しいと思うひとっていないんじゃないかと思う。それでもそういうものに取り巻かれる環境で生きるうちに、それに適応した人格ができあがる。そういうことなのではないかと。

 

これは、良い悪いじゃなくて、ある意味どこまでいっても、「動物」である人間がつくる社会の、一つの形なんだなと。思うようになった。

 

これって、京都じゃなくても、人が集まる集団であれば、ある程度はあると思います。でも、なんで、京都ではそれを強く感じるんだろう。。。。

 

ひとつは「現れ方の違いかな」と。

 

ここから、ちょっと、私の空想になります。

特定の町には、特定の共通した、精神的な雰囲気があると思います。

 

そして、また、そこに住む人たちは、役割は違ってもある程度共通した無意識を共有してる気がします。それで、京都を覆う無意識の流れの中には「嫉妬」や「足の引っ張り合い」を強化する何かが流れてる気がするんですよね。これが、歴史的なものなのか、なんなのかはわかりません。とうか全てが組み合わさって出来上がってるんだろうと思いますが。

 

全然、言ってる事に具体性がないですが。。。笑

なんかこんなようなものを感じるんですよね。(ますます具体性がない)

 

こういうことをずっと感じていくうちに、関西のひとが「関東の人は冷たい」という感覚もだんだん分かるような気がしてくるときがある。ただ、これも、みんながいうワケじゃないんでね。あくまでも、個人差があるのは当然だと思います。それに、この違いをどんな感覚で体験するかも、その人の性格によると思います。

 

この記事怖いな。すぐ下書きにするかもしれない。

 

 

雷スゴ過ぎて怖い。

朝起きたらドカンドカンとスゴい音がして。

雷です。

何発も落ちてるんじゃないかと思うくらい。

いまちょっと落ち着いてきましたが。

 

近日中に、この雷のように。

ダン・ケネディの著作を中心としたアフィリエイト記事絨毯爆撃を執り行う予定です。

お楽しみに。

 

雨止まないかな〜