futuunohitox’s diary 普通の人Xの危険な日常「突き進め!」(心)

「心に聞く」と「本音モード」を軸にしながら。日常や興味をもったことを大発信!!セールスコピーライターです。お問い合わせは0123salesa(a)gmail.comまで(a)を@に変えてください。

ちょっとぶっ飛び系。『ユダの福音書』と『エクソダス』

※超独断と偏見注意

今回は『ユダの福音書』と『エクソダス』について。

 

ユダの福音書』を読んで「ユダの過酷な役回り」についてお話ししました。

ユダの福音書』に私が惹き付けられたのは、ユダの苦しみや境遇とユダをその状況に陥れる正当派との関係に「真実をねじ曲げる支配者の暗示」「嫉妬で本来の能力や美しさをつぶされる」苦しみを感じたからです。

 

本当の真実とは、「真実をねじ曲げる支配者の暗示」や「本来の能力や美しさをつぶす嫉妬」を0にて現れる力強い存在と確信と安心感が本来の姿と仮定します。

「心に聞く」的に言えば、「邪魔に邪魔されず心の声を表現できている状態」

とても重要なのは「わたしの真実が無意識的・意識的に邪魔され汚され隠されている」それに気付くことではないかと。

 

ユダは「自分自身が正当派の世界から嫉妬され邪魔され、裏切り者としての暗示をかけられている」これに気付き自分自身の真実を力強く主張し始めることで回復するのではないかと思います。まずは「世間の自分自身に対する不当な扱いに気が付く」そして時に理屈抜き、理不尽と思われるような方法を取ってでも「自己の真実を主張する」その過程が回復過程ではないかと。

 

だって、キリストが最も愛し「私を唯一理解するもの」と言ったのに・・・

正当派の扱いは完全な「反キリスト」

どう考えても理不尽ですよね。

 

でもユダは「支配者の暗示」と「嫉妬の呪い」を入れられまくっているから、きっと「罪悪感」を感じてしまう。

 

そこで『エクソダス

ヤハウェは徹底した怒りと復讐を表現します。まあ、具体的には映画見て欲しいんですが。ユダヤ人の奴隷を解放させるために、次から次へとエジプトに災いを引き起こすヤハウェ。最後はモーゼもついていけなくなります。「そこまでする必要があるのか?」「酷すぎる」「一緒に育ったひとがここまで苦しむ姿は見たくない」(モーゼは追放されるまでファラオと兄弟のように育てられ、ファラオの首席顧問になります。)そう言われてもヤハウェは容赦しないんですね。この辺りユダヤ人を奴隷として扱うエジプトへの「ヤハウェの怒りと復讐と主張」は徹底しています。「こんな復讐には付き合いきれない」と去っていこうとするモーゼに対し、ヤハウェは夜空を昼の空に変える奇跡を見える。驚いて振り向くモーゼに、ニッコリと微笑みます。

 

面白いと思ったのは、エジプト側にも神がいること。金で作った神様の巨大な像を製造し、それを自らの力のシンボルにしています。これって「支配者の作り出す世界観」に似ていますね。民衆に対して「意識が作り出した力のシンボル」に従うことを強要しているのです。しかしヤハウェに対しては全く歯が立たない。最後は究極の災いをもたらされて、ユダヤ奴隷解放要求を受け入れます。

 

これに「支配者」と「無意識の巨大な力」の戦い。そして、無意識についていけなくなる本人の意識を感じたんですよ。

 

ちょっと、危険思想につながりそうでコワいですよね。笑

 

そこで「トラウマちゃん」的アプローチも役立つのかな。怒りにくるって回避に流れてしまわないように。「〇〇の恐怖×7」で自分の中にある根源の恐怖を自覚して整理する。一連の「裏切り行為」と迫害体験から生まれた「恐怖」を整理する。これをすれば危険思想にはなり辛いんじゃないかな。

 

ここまで書いて、一旦やめます。

いつか更新するかも。